大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和49年(ワ)8335号 判決 1979年2月26日

原告

国鉄動力車労働組合

右代表者

富田一朗

右訴訟代理人

内田剛弘

秋山幹男

被告

株式会社新潮社

右代表者

佐藤亮一

被告

野平健一

被告

亀井龍夫

右三名訴訟代理人

多賀健次郎

主文

一  被告らは各自原告に対し一一万円及びこれに対する昭和四九年一〇月一二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分しその九を原告の負担とし、その一を被告らの負担とする。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一  原告

(一)  被告らは共同して朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の各全国版に、見出しと氏名は三号活字を用い、本文は四号活字をもつて各一回別紙記載の謝罪広告を掲載せよ。

(二)  被告らは各自原告に対し五五三万五〇〇〇円及びこれに対する昭和四九年一〇月一二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(四)  第二項につき仮執行の宣言

二  被告ら

(一)  原告の請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  請求原因

一  原告は日本国有鉄道の職員及び準職員、臨時雇用員で機関車、電車、汽動車及びその他の動力車に関係ある職務に従事している労働者をもつて組織された法人格を有する労働組合であり、被告株式会社新潮社(以下「被告会社」という。)は週刊誌「週刊新潮」その他の書籍、雑誌の出版及びこれに付帯する一切の業務を営むことを目的とする株式会社であり、被告野平、同亀井は同社に雇用され、被告野平は被告会社の取締役兼週刊新潮の編集長であり、被告亀井は同誌編集部次長である。

二  「週刊新潮」昭和四九年八月一日号(同年七月二五日発売)(以下「本件掲載誌」ともいう。)は、その三二頁から三五頁にかけて原告組合のストライキに関する記事(以下「本件記事」という。)を特集し、大見出しとして「目黒今朝次郎当選御礼ストライキ」(以下「大見出し(一)」という。)、「この上、新幹線をとめるんだって」(以下「大見出し(二)」という。)と掲載し、小見出しとして「三枚目がヒーローになるのは、ダイコンが主役に配された退屈な映画だけでなく、今回の参院選もまたしかり。泣く子も黙る“オニの動労、”順法ストの悪逆無道もヘイチヤラのサデイスト集団動労、その動労からまさか当選するまいと見られつつ立候補した目黒今朝次郎親分、あにはからんや、全国区第九位、八十六万五千八百票というタレントなみの成績をおさめたのである。―その当確の瞬間から予感はあつた。これで動労はつけあがり、順法ストはいよいよ盛んになるに違いないと。はたせるかな、であつた。」と掲載し、本文中では原告組合が予定していた昭和四九年七月二七日からのストライキについて、「今度のは『目黒今朝次郎当選御礼ストライキ』とでもいつてみたらどうだといいたい。どうせそういわなくても、気分としては同じに違いない。」「いつたい、『目黒今朝次郎当選御礼ストライキ』でないのならその理由は何であるか?」「やつぱり『目黒今朝次郎当選御礼ストライキ』じやないか……。」「“当選御礼”といえば、今年の米価審議会に、農民といつしよに動労も陳情に押しかけていたが、これも目黒氏が北海道や東北の農民票をかなりもらつたことに対するお礼と説をなす人もいる。」などと掲載した。

三  本件記事は被告亀井が執筆し、被告野平がその責任において本件掲載誌に編集、掲載し、被告会社は昭和四九年七月二五日から約一週間にわたつて多数の同誌を販売した。

四  また、被告会社は本件掲載誌を宣伝するため、「目黒今朝次郎当選御礼ストライキ、この上新幹線をとめるんだつて」と大書したポスター(縦36.5センチメートル、横51.6センチメートル)(以下「本件ポスター」という。)を作成し、昭和四九年七月二六日から同月二八日までの間、国鉄東京南鉄道管理局管内の国電及び湘南電車内に合計約四、五〇〇枚を掲示したのをはじめ、全国の国鉄の電車内、私鉄各線及び帝都高速度交通営団経営の地下鉄電車内に多数掲示した。

五  本件掲載誌発売直前の国鉄と原告組合の労使関係

原告組合は、昭和四九年七月一五日の第八四回臨時中央委員会において、博多新幹線開業に伴なう労働条件問題、北海道などの基地統合廃止に伴なう配置転換問題その他の問題を解決するため同月三〇日、三一日に一二時間から七二時間のストライキを行なうことを決定した。即ち、博多新幹線は、昭和五〇年三月開業が予定され、昭和四九年一〇月頃から要員養成が開始されることとなつていたため、原告組合は(イ)運転士、検査掛の乗員数、継続乗務距離など乗組基準の問題、(ロ)配置転換の方法、在来線からの要員補充に関する労働条件の問題、(ハ)新幹線の乗務旅費、走行検査旅費等右開業に伴なう諸問題について従来から国鉄当局と交渉を続けてきたが、至急決着をつける必要に迫られており、基地統合廃止問題も同様緊急課題であつた。

六  本件記事の掲載及び本件ポスターによる車内広告の違法性

(一)  原告組合が労働組合である以上労働条件に関する前記諸問題が労使交渉により解決されなければ、その解決のためストライキ等の争議行為に訴えるのは当然のことである。しかるに、被告らは原告組合の右のような意図を知りながらあえて本件記事の掲載及び本件ポスターによる車内広告(以下この両車を総称して「本件記事等」又は「本件記事の掲載等」という。)に及んだのである。即ち、本件記事の掲載等は前記二に引用した部分からも明らかなように、原告組合が目黒今朝次郎の当選御礼又は当選祝いためのストライキを実施する旨の虚偽の報道であり、読む人にその旨の誤解を与えるものであつて、単なる逆説的、揶揄的表現ととらえることができるものではなく、原告組合の社会的信用を毀損する目的で作成されたものといわざるを得ない。しかも、被告会社は週刊新潮の販売高をふやし利潤を得る目的のもとに前記三及び四に述べたように、被告亀井が執筆し被告野平が編集した虚偽内容の本件記事についてセンセーシヨナルな見出しで本件ポスターによる車内広告をして宣伝したうえ、本件掲載誌を販売したのであるから、被告らの行為の違法性は一層顕著なものがある。

(二)  本件記事等は前記二に引用した小見出しからも明らかなように原告組合を言葉の限りを尽して口汚く罵つているのであつて、とうてい原告組合のストライキに対する公正な論評というに値するものではなく、専ら原告組合に対する私的な悪意ないしは怨恨からその名誉毀損を目的として作成されたもので誹謗、中傷の類いにほかならない。従つて、本件記事の掲載は言論の自由の濫用である。

(三)  なお、原告組合は被告らが原告組合に対するストライキの批判をしたことの当否自体を問題としているのではなく、右に述べたように被告らが原告組合のストライキにつき虚偽の報道をなし、また、これを誹謗中傷した点を不法行為として主張しているのであるが、公共企業体の職員及び組合のストライキを全面的に禁止した公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)一七条が憲法二八条に違反するものであることを念のため付加しておく。

七  そこで、原告は被告らにより毀損された名誉回復のため被告に対し共同して第一の一の(一)記載のような謝罪広告の掲載を求めると共に被告らに対し各自名誉毀損のため蒙つた社会的信用の低下等の無形の損害の賠償として五〇〇万円及び本訴提起維持のための訴訟代理人に対する弁護士費用五三万五〇〇〇円(訴訟物の価額の一割)合計五五三万五〇〇〇円の支払いとこれに対する不法行為後である昭和四九年一〇月一二日以降完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三  請求原因の認否

請求原因一ないし四の事実は認める。同五の事実は不知。同六の事実のうち、被告会社が本件掲載誌へ本件記事を掲載し、本件ポスターによる車内広告をしたこと、被告亀井が本件記事を執筆し、被告野平がこれを編集したことは認めるが、その余の事実は否認する。同七は争う。

第四  被告らの主張

本件記事は言論の自由による正当な批判である。

一  被告らはいずれの労働組合に対しても憲法の保障する勤労者の団結権、団体交渉、その他の団体行動をする権利を否定するものではない。しかし、公労法一七条は、公共企業体の職員及びその労働組合が同盟罷業、怠業その他業務の正常な運営を阻害する行為を一切禁止することにより、公共企業体の正常性を確保し、公共の福祉を増進し擁護することをはかつている。公労法一七条に対する批判には傾聴に値するものがあるが、現に同法が存続する以上原告組合がこの法律の規制に服さなければならないのは法治国の一員として当然である。

それにもかかわらず、原告組合は国鉄労働組合(以下「国労」という。)と共に右法規に違反してストライキを繰返し、利用者、一般国民の批判を浴び、遂に高崎線上尾駅暴動事件が発生したが、これは、利用者、一般国民の右両組合のストライキに対する不満の爆発である。被告らはこれら国民の声を代表して本件記事掲載等以前の昭和七年五月六日号から昭和四九年四月一八日号までの間一二回にわたり週刊新潮誌上に公共の福祉の見地から両労組によるストライキに対する公正な批判と意見を掲載してきた。被告らは原告組合に対し悪意をもつて又は中傷のためにこれらの報道をしてきたものではなく、原告組合の実施するストライキにより蒙る国民の側の経済上、生活上の犠牲の甚大さ、公共企業体の職員組合の負う公的義務と原告組合の有する権利を比較考量したうえで、ストライキを公平に批判し、国民の側の立場から原告組合によるストライキは権利の限界を超えるものと判断した結果、右報道をしてきたのである。

二  しかるに原告組合及び国労は、新幹線の博多までの開業に伴なう労働条件改善などを要求して昭和四九年七月二七日午前零時から新幹線を中心に順法闘争、同月三〇日には全面ストライキをそれぞれ実施することを予定して国鉄当局に譲歩を迫ることにしていた。原告組合らの主な要求は、①動力車の乗務員を現行二人から全列車三人(運転士二人、検査掛一人)にすること、②乗組み基準は現行の五三五キロメートル、四時間を厳守すること、③車掌を現行四人から六人にすること④旅費改定など待遇を改善すること、⑤従来の運転所と工場を一体化した博多線総合車輛部設置に反対する、⑥新幹線要員四六一五人を供給する在来線へ要員補充をすることなどであり、順法闘争が実施されると新幹線は二七日から遅れはじめ、二八日には約二割、二九日には約八割の列車が運休し、これに三〇日の始発からの全面ストライキを加えるとストライキ後遺症は八月に持越されることが予想された(以下七月二七日以降原告組合が計画した順法闘争、全面ストライキを総称して「本件スト」という。)。

三  本件ストに関しては読売新聞が同年七月二八日にハイライト欄で「安易な国鉄のスト戦術」「企業内解決が本筋」との見出しの記事において、また朝日新聞が同月二八日「話し合いを忘れた国鉄労使」、毎日新聞が同日「乗客を無視した国鉄闘争」との見出しの各社説においていずれも本件スト決行を批判する意見を掲載しており、これらは本件ストを無謀と考える国民の側の意見を代表しているといつてよい。また、本件ストによつて利用者たる国民の蒙つた数多くの被害は、当時の前記各紙の記事や被告会社に寄せられた読者の投書から知ることができる。

本件ストに対する批判的意見はいずれもストの意図が国民の側にはわからず決行するについての客観的理由に乏しいというにある。

本件ストの前提となつた労使の最大の争点は新幹線の博多延長に伴なう乗務員数問題で原告組合側は三人、当局側は二人を主張して双方譲らなかつた。ところが、新幹線乗務員については東京・大阪間の開通に際し労使間の話合いで二人と決つており、既に一〇年の歴史を経ており、現在の乗務態勢で不都合な事態が発生したことはなく、なぜ乗務員を増員する必要があるのかについては理論的根拠は見出せない。この問題については当事者内部の問題として労使とも話合いできめるという交渉雰囲気で、原告組合がストライキを構えるということは当局は全く想像だにしていなかつた。

四  このように、原告組合による本件スト決行にはその違法性を論ずる以前に、これを容認し得る社会的合理性、正当性が存しなかつた。それなのに原告組合がなぜ夏の輸送量の多い時機に本件ストを組んだかといえば、原告組合の前委員長目黒今朝次郎がその直前に施行された参議院選挙において社会党の全国区候補としては最高位の第九位当選を果したことにより、原告組合の有する実力とその自信の程を組織内で印象づけ自覚させる必要があつたからにほかならない。即ち原告組合は原告組合にとつてだけの必要から本件ストの決行スケジユールを組んだのである。

五  被告らは、このように理由のない本件ストを批判するために前記一に述べた各掲載記事と同じ立場から本件記事を昭和四九年八月一日号の週刊新潮に掲載し、また、本件ポスターによる車内広告をしたのである。本件記事の大見出し(一)については被告らとて原告組合が目黒今朝次郎の当選御礼のため本件ストを決行したなどと考えているわけではなく、そのことは本件記事を一読すれば明らかに分ることである。ただ右のような逆説的表現を用いて社会的に容認し得る合理的理由のない本件ストを批判したに過ぎないのである。従つて、本件記事の掲載等につき名誉毀損は成立しない。

六  また、既に述べたように、本来公共企業体の職員及び組合によるストライキは違法であり、これにより多くの国民が被害を受けているのであるから国民の側の立場からこれに対する社会的批判、意見として述べられた本件記事等は正義の声というべきである。従つて、その内容において、風刺、諧謔、揶揄があつたとしても、これによつて違法行為者である原告組合に対する名誉毀損は成立しない。

第五  証拠関係<省略>

理由

一請求原因一ないし四の事実は当事者間に争いがない。

二<証拠>によれば、被告会社はかねてから原告組合及び国労の行なうストライキにつき公労法一七条に違反するものであるだけでなく、いたずらに国民である利用者に被害を与えるもので公共の福祉に反する行為であるとの見解を有しており、被告野平、同亀井ら編集担当者もかかる基本的立場に基づきいわば多くの利用者の代弁者としての意識のもとに、自社が毎週発行する週刊新潮誌上に本件記事掲載以前である昭和四七年五月六日号から昭和四九年四月一八日号までの間一二回にわたり両組合、特に原告組合の行なうストライキに対する批判的記事を編集し掲載してきたこと、そしてその批判の主眼はストライキの違法性よりもむしろ右に述べた多くの利用者の蒙る被害におかれていたこと、後記三に認定するような原告組合によるストライキが予定されていることを知つた右被告両名ら被告会社編集担当者はこれを理由のない唐突なものと受止め、右のような一連のストライキ批判記事の一環としてこれにつき取材し記事を作成することを計画し、被告亀井を中心に二、三のスタツフがこれに当り関係者から取材後前記のとおり被告亀井が本件記事を作成し、被告野平が責任者としてその編集に当りかくて昭和四九年八月一日号の週刊新潮にこれを掲載して販売したことが認められる。

三<証拠>によれば、本件掲載誌発売前後の国鉄労使関係につき次の事実が認められる。

国鉄は、昭和五〇年三月から新幹線を博多まで延長することにより生ずる博多総合車輛基地等へ配置される要員確保、在来線から新幹線関係への職員の配置転換、乗務員数、乗務時間、乗務距離等のいわゆる乗務員の乗組基準に関する事項等につき昭和四九年春頃から原告組合、国労との間で交渉をしていたが、同年七月に入るも意見の一致をみるに至つてはいなかつた。このほか、北海道地区におけるデイーゼル機関車導入による機関区統合廃止の実施、運転保安対策の実施、同年六月七日に発表された前年九月闘争に対する組合員処分問題等も労使の懸案事項となつていた。これらのうち博多総合車輛基地は昭和四九年八月に発足が予定され、また、博多までの試運転開始が同年九月と予定されていたため、要員確保、乗務員の乗組基準が交渉の焦点となつていたが、特に原告組合は従来の運転士二人乗務制を運転士二人検修掛一人の三人乗務制に改めることを強力に主張し、二人乗務制の維持を主張する当局側との交渉は平行線となつていた。

そこで原告組合は新幹線博多開業に関連する労働条件改善を中心に国労と共闘態勢を組み、同年七月一五日の臨時中央委員会で要求貫徹のための闘争の山場を同月三〇日、三一日に求め、両日に一二時間から七二時間のストライキを計画するなどストライキを含む減産、減速闘争等の闘争方針を決定した。そして、原告組合は国労と共に同月二五日からストライキを背景に当局側と交渉し、同月二七日、二八日には減産、減速闘争(いわゆる順法闘争)を実施しつつ交渉を継続した結果北海道デイーゼル基地問題については同月二六日合意に達し二七日以降の北海道地区における闘争を中止し、新幹線博多開業を含むその他の問題については国労との共闘に乱れが生じたため、当局側の回答を不満としつつも乗務距離等については一応前進した回答を引出し得たものと判断して交渉を妥結し、同月二八日午後一二時をもつて以後に予定されていた闘争を中止した。右交渉の結果、乗務距離、乗務時間については特別措置、乗務旅費の引上げという形で当局側の譲歩もみられたが、乗務員数については当局が主張する従前の二人制乗務を継続することが確認され、原告組合としては、最大の要求目標としていた三人制乗務を実現することができなかつた(乗務すべき乗務員数については昭和三九年の新幹線開業時にも労使間で見解がわかれていたが、公共企業体等労働委員会の斡旋により二人乗務制を労使双方が合意し、これを実施していたものであつた。)。

四原告は、本件記事等が原告組合の前委員長目黒今朝次郎が昭和四九年に施行された参議院議員選挙に当選した御礼又は当選祝いため原告組合が本件ストを実施するという虚偽の内容を報道したもので、読者をしてその旨誤解させるものである旨主張する。

そこで、本件記事等の報道内容について検討するに、<証拠>によれば、本件記事中直接本件ストに関する部分は同誌三二頁冒頭から三三頁「動労は米価値上げに賛成?」の小見出しの直前までであるが、右記載部分によれば、本件記事は「順法ストは組合員の士気のため」と発言した原告組合の富田委員長が、本件ストの理由は北海道にデイーゼル機関車の基地が発足するのに伴ない生ずる組合員の配転問題につき当局が事前協議を無視していることと新幹線の博多延長に伴なう乗務手当増額及び一人乗務の増員要求につき当局が応じないことにある旨説明した言葉を引用し、酷暑の中で本件ストが実施されることにより蒙る多くの利用者の被害を考えると、同委員長の説明だけでは本件ストを実施する理由として薄弱であるとして、原告組合が本件ストを実施しようとしていることを批判しているものであること、そして、本件記事中の右部分は富田委員長の前記説明を引用した後本件ストにつき「公平に見て、で、どうしてこういう要求が順法ストになるのかと、いぶかしがるムキが多いのではなかろうか? やつぱり『目黒今朝次郎当選御礼ストライキ』じやないか」と結んでいるのであるが、その趣旨は前記二に認定した被告らの立場からみれば、本件ストは当選御礼ストライキといわれてもやむを得ないほど根拠が薄弱なものであることをいわんとしたことにあることが認められる。

即ち、原告組合が前委員長が参議院議員に当選した御礼又は当選祝いを真の目的としてストライキを行なうならば、ストライキの適否を度外視しても、そのようなストライキが社会的に全く是認し得ないものであることはあえて多言を要しないほど何人にとつても明白なことであり、被告らはかかる観点から、本件スト実施について首肯すべき理由がなく利用者に迷惑をかけるだけに過ぎないという被告らの批判的立場を強調する趣旨で本件記事に大見出し(一)及び(二)のような表現を用いたもので、原告組合が本気で当選御礼又は当選祝いを理由とするストライキを実施しようとしていることを報道したものであると認めることができないことは、本件記事を一読すれば容易に看取し得るところである。

のみならず、右に述べたように当選御礼又は当選祝いそれ自体を目的としたストライキが社会的に是認し得ないことは何人にとつてもあまりにも明らかなところであるから、本件記事の大見出し(一)及び本件ポスターに記載された「目黒今朝次郎当選御礼ストライキ」なる文字をみたにすぎない人であつても―その人が日頃原告組合にいかなる感情をいだいているかにかかわりなく―真に原告組合が当選御礼又は当選祝いのためのストライキを構えていると信じ込むことはおよそあり得ないところであろう。そして、本件記事及び本件ポスターに右文字と並んで記載されている「この上新幹線をとめるんだつて」という見出し文字をあわせ読めば、本件掲載誌が、原告組合がそれ程重大な理由もないのにストライキを行なつて新幹線をとめようとしているとの見解のもとにこれを批判した記事を掲載したものであることを容易に理解し得るものというべきである。他に本件記事を検討するも、本件記事が、真に原告組合が当選御礼祝いのためのストライキを実施することを報道したと認むべき部分は見出し得ない。

そうであれば、「当選御礼ストライキ」とは被告らが原告組合が実施を予定した本件ストに対する前記のような批判的見解を一種の比喩を用いて表現したに過ぎないものと解せられ、その表現方法の当否の検討が残されているとはいえ、被告らが本件記事等の掲載により虚偽の報道をして読者をしてその旨誤信させたものとする原告の主張を採用することはできないのである。

五次に、本件記事等の表現方法の当否について検討する。

(一)  本件記事等のうち「目黒今朝次郎当選御礼ストライキ」とある部分の意味するところは既に述べたとおりであるが、原告が本件記事のうち特に公正さを欠くと指摘する小見出し部分は、原告組合の目黒委員長の参議院議員当選の意外性を強調する趣旨で「三枚目がヒーローになるのは、ダイコンが主役に配された退屈な映画だけではなく、今回の参院選もまたしかり」なる表現を用い、また、被告らの立場からみて原告組合が利用者に迷惑をかけることをかえりみることなくストライキをくり返す集団であることを強調する趣旨で「泣く子も黙るオニの動労、順法ストの悪逆無道もヘイチヤラのサデイスト集団動労」なる表現を用いたうえ、被告らがこのように評価する原告組合が前委員長の参議院議員上位当選という自信から今後もストライキをくり返すのではないかという疑念を表明した趣旨と解される。右見出し部分に用いられた「サデイスト」の本来の語意は相手の身体を痛めつけて満足する変態性欲者を指すのであるが、もとより被告らはこの言葉を本来の語意のまま用いたものではなく、これを比喩として用いたものであることは明らかである。

(二)  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

原告組合が本件ストにおける最重点要求項目としたのは新幹線博多開業を機に従前の二人乗務を三人乗務制に改めることにあつた。この点に関し、原告組合は新幹線博多開業に伴なう抜本的労働条件改善要求の一環として、また、列車の安全運転確保のため必要であるとして、従来新幹線に運転士二人を乗務させうち一人に検査掛を兼ねさせていたのを改め運転士二人、検査掛一人合計三人を乗務させることを基本的要求として強く主張し、これに対し当局側は、前記三認定のように二人乗務制は新幹線開業当初公共企業体等労働委員会を介して労使の合意により発足したもので開業以来十年間の実績がある、特に、新幹線の列車には列車自動停止装置(ATS)、列車自動制禦装置(ATC)等の安全装置を完備しているからこの段階で三人乗務制に改める必要はない。乗務員を二人にするか三人にするかは国鉄の内輪の問題だし、当局としても待遇改善要求には応ずるから、このことで乗客に迷惑をかけることは避けるべきであると主張し、更にこれに対し原告組合は、大阪以西ではトンネルが多くトンネル火災事故の場合には列車切離し等のため専門の検査掛が乗車していることが必要だし、ATS、ATCも故障しないとは限らない、とにかく二人より三人の方が安全だと主張していた。

このような労使の主張についての当時の新聞論調をみると、当局にも誠意ある交渉態度、積極的なストライキ回避方策を望むものもあつたが、その多くはむしろ原告組合に対して批判的であつた。例えば昭和四九年七月二七日付読売新聞第四面は「安易な国鉄のスト戦術、企業内解決が本筋、実力行使をもつと慎重に」なる見出しのもとに、記者の署名入りの記事で本件ストにつき国鉄当局のなりゆきまかせの態度にも問題があるとしつつも、視点を専ら組合側の態度におき、「労使間の交渉がこじれた結果、いわば企業内で解決すべき問題が行き詰まつたことを理由に、国労、動労とも利用者を巻きぞえにしての実力行使戦術に踏み切つたのである。」と述べ、夏休みバカンス中の「国鉄の紛争は家庭の楽しみを遠慮なく破壊」するとしてその影響を憂え、「今度の企業内要求が、どうしても、国民に迷惑を与えてもやむを得ないものなのかどうか、労組側も慎重に検討してみるべきである」といつて、両労組の自重と反省を期待し、同日付同新聞第一九面は「東京目黒の動労本部には二六日心配した利用客から、恨みつらみの電話が殺到、同日だけでも電話は約千四百件に達した」ことを報じ、同月二八日付同新聞「編集手帳」は「夏休みレジヤーにぴつたり照準を合わせたような動労、国労のストは、この上もなく評判がわるい。どうしてもストに訴えなければというやむにやまれぬものがさつぱり感じられないからだ。動労本部には選挙に勝つたからといつていい気になるなという抗議の電話がしきりだそうだ。ミスター順法の目黒委員長が参院選で意外に健闘、上位当選したからといつて、どんなストでも国民は必ず支持すると思つては困るということだろう。まさに同感だ。……今度の組合要求は何だつたか。その中心は新幹線の三人乗務なのだという。新幹線の乗務員定数問題はこれまでも複雑な経過があり、一応の実績もある。組合側も一日や二日のストで根本的に解決できるとは、ユメにも思つていないはず。……新幹線も開業十年、いささかくたびれてきたようだし、安全には念の入れ過ぎはあり得ない。乗務員の定数問題もこのへんが冷厳な科学の目による再審のチヤンスではないかとも考える」と論評し、本件ストの妥当性に疑問を投げかけ乗務員定数問題に科学的見地からの解決を提案し、同日付毎日新聞社説は「乗客を無視した国鉄闘争」なる見出しで「組合側が主張するように、三人乗務になれば安全性が高まるというのならば、それに越したことはないが、一方には合理化による生産性向上という要請があり、技術的に議論のわかれるところだろう。交渉の過程で、当局側がどれだけ誠意を示したかという問題もあるが、だからといつてこの時期に、お客を巻き込む実力行使は、国民大衆を納得させるものでは決してない。」と論評し、同日付朝日新聞社説は「話し合いを忘れた国鉄労使」なる見出しで「猛暑のさなかの国鉄の混乱で乗客のイライラは頂点に達している」として、労使の話し合いの必要を強調してはいるが、「組合側の今度の態度は、いかにも唐突の感をまぬかれない。新幹線乗務員の問題は、十年前大阪までが開業された時点で労使の話し合いで決まつていることである。その乗務態勢でこれまで非常な不都合があり、事故が起きたといつたことはきかない。新幹線が延長されたからといつて、いま急に乗務員を増やさねばならぬとする理論的根拠はどこにあるのか」と述べ原告組合の要求する三人乗務制の説得力の乏しいことを指摘し、同月二七日付サンケイ新聞「主張」は「避けよ七月末国鉄スト」なる見出しで乗務員数の問題はストライキに訴えることなく日時を重ねて話合うべき問題であり、本件ストは人々から「待ちのぞんでいたレジヤーを奪い、生活をおびやかすまことに非情な闘争である」と論評し、同日付東京新聞は「なんのための闘争か」と題し「怒りの声」「組合の考え」をそれぞれ掲載し、前者には、評論家、大学教授、利用者の強い批判的意見が述べられている。これら批判的意見の多くは同時に当局側にも向けられているが、その内容はストライキ回避のための取組みが不十分であるとか、ストなれしているとかいつたような交渉態度に関するもので、原告組合側の要求を受入れよという明確な趣旨のものではなく、従つて、当局に対する批判が直ちに原告組合の要求及びストライキ支持へと直結する性質のものとはいいがたいものがある。

また、原告組合と共闘関係にあつた国労も三人乗務制を基本的には支持しつつも、七月二七日付は、翌年の予算も決まらない現段階で決着をつけるのは無理であるとして原告組合の闘争戦術を強気な組合エゴであると批判した。

本件ストの結果、多くの運休列車を出し、レジヤーシーズンとも重なつて運行列車は混雑し、乗車を諦めて宿泊先をキヤンセルする利用者もあり、生鮮食料品入荷への影響もみられ、同月二九日付読売新聞朝刊は「赤字八億円、迷惑八三万人」と報じた。

(三) 前記(二)に認定されたところによれば、原告組合が三人乗務制を強力に主張しあえて真夏のレジヤー期間の最中に実行した本件ストを納得しがたいとする社会的批判は新聞論調を中心として強く、しかも、右批判はそれなりの合理性を有するものということができるのである。そして、原告組合の本件ストを社会的に肯認し得ないという立場のもとに掲載された本件記事も、かかる合理性を認め得る前記各新聞論調等と基本的には軌を同じくするものということができる。

しかし、いかに批判の自由があり、かつ現になされた批判にそれ相当の根拠があるとはいえ、それを表現する方法には自から限界があり、特に不特定多数の大衆に目のふれる機会の多い雑誌に記事としてこれを掲載する場合には、発行者、記事作成者、編集者は批判される側の立場にも配慮を及ぼし、真面目さ、慎重さを失うことなく極端な揶揄、愚弄、嘲笑、蔑視的な表現をさけなければならないことは、言論人として当然のことである。

一方、原告組合の三人乗務制の要求については、少しでも有利な労働条件を獲得したいという労働者共通の願望から右要求を支持し、或は乗務員数の増加と列車運転の安全性確保が比例関係にあるか否かの科学的根拠は別としても、とにかくより多くの乗務員が乗車するということから受ける素朴な安心感に基づいて右要求に共感を覚える人のあることも予想されなくはないのであり、前記(二)の認定に引用した各書証(新聞)の論調にもみられた当局側の対応のにぶさを指摘する立場もあるのである。そして、<証拠>によれば、少なくとも原告組合としては幾多の機関決定を経て自己の要求実現のため本件ストを実施することの正当性を信じて闘争していたことをうかがうことができる。

このように、原告組合の三人乗務制の要求を視点をかえて眺め、かつ原告組合の本件ストへの取組み態度からみるとき、被告らが批判の方法として「目黒今朝次郎当選御礼ストライキ」「順法ストの悪逆無道もヘイチヤラのサデイスト集団」なる表現を用いた部分は、本件ストが社会的に肯認し得ないとする被告らの批判そのものの正当性を認めても、そのための比喩としては慎重さを欠いた揶揄的に過ぎる表現であるし、また、被告らが現に参議院議員でありかつて前委員長として原告組合を指導した目黒今朝次郎を演技未熟のダイコン役者としてなぞらえた部分はそのような表現を通して原告組合を強く揶揄したものであり、従つてこれらの内容を含む本件記事等は原告組合の社会的信用を傷つける名誉毀損行為と認めるのが相当である。

因に、本件記事等とこれと本件スト批判という点において基本的には同じ立場にあるとみられる前記(二)の認定に引用した新聞論調を比較すれば右新聞論調には本件記事等にみられるような揶揄的表現はなく、普通の表現によりその意図を十分に達し得ていることを知ることができるのである。そして、本件掲載誌がいわゆる週刊誌であつて、日々各家庭に配達され安定した販売部数を確保し得る日刊商業新聞と対比すると、娯楽性、大衆性更には新奇性を備えなければ販売実績の向上が望めないことは容易に推側し得るのであるが、そのことを考慮に入れたとしても、本件記事等にみられる前記のような表現は論評の公正さを逸脱した違法なものと認めざるを得ない。

なお、被告らは本件ストが違法でありこれにより多くの国民が被害を受けている以上これに対する批判の中に揶揄的表現等があつても名誉毀損は成立しない旨主張するが、違法行為者に対する批判の場合であつても叙上の点に変わりはないところであるから、右主張は採用の限りでない。

六本件記事等は被告亀井が執筆し、被告野平がこれを編集して本件掲載誌に掲載し、右両名の使用者たる被告会社がこれを販売したものであることは当事者間に争いのないところであるが、以上述べたように本件記事等の内容が違法と認められる以上被告らは共同不法行為者として原告らに対しその損害を賠償する義務がある。

ところで、本件記事等の内容に違法な点があつたとはいえ、既に判断したように、被告らは全く虚偽の報道をしたものではなく、比喩的表現によつて原告組合を強く批判しようとしたもので、そのことは読む人をして容易に理解せしめ得るものであり、しかも当時の新聞論調等からみてその批判は基本的には社会一般の風潮にそうものと認められ、反面被告らに原告主張のような悪意又は怨恨の意図を認むべき証拠もないことを考えると、被告らに対し謝罪広告の掲載までを命ずる必要はなく、損害賠償として一〇万円の支払いを命ずれば足るものというべきである。

次に弁護士費用については、本訴にあらわれた一切の事情を考慮し認容額の一割である一万円をもつて相当とすべきである。

七よつて、被告らは各自原告に対し本件記事等の掲載により原告らが蒙つた名誉毀損に対する損害賠償として一一万円及びこれに対する不法行為後である昭和四九年一〇月一二日以降完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による金員を支払う義務があるというべきであるから、原告の本訴請求を右の限度で正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条、を適用して主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言は相当でないと認めこれを付さない。

(松野嘉貞 白木勇 小佐田潔)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例